ヲカベ自分騙り

日々膨らむ妄言の具現化。

自己反省にも近い何か。

 

 

 

どうも、ヲカベです。

 

最近、千鳥が好きすぎるな世間は。と思いますが

自分もその一人です。ミーハー。

 

 

ネット社会、情報化社会なんて言いますが

スマートフォンの普及によりインターネットが

どんな世代の人にも身近なものになり、

その使い方は多岐にわたるにしても

誰もが一度はSNSに興味を示し、

一つ以上の運用をしているんじゃないでしょうか。

 

かくいう自分もそうです。

 

古くはmixi、学生の頃にはホームページを友人と開設し

妄言ポエム自己賛美etc...

承認欲求への渇望はこのあたりから形成されてきたと思います。

 

その後、Twitterへ移行し

「ツイート数」や「フォロワー数」

「ツイートに対する反応の数」など目に見える実績が与えられ

分かりやすくSNSの海に身を投じていくわけです。

自分の遍歴だけで言えば、同時進行でfacebook

最近ではすっかりinstagramの虜です。

インスタ映え」ってやつです。

 

 

別に、そういったSNSにのめり込むことを

批判したいわけじゃないです。

むしろいつでも肯定的な気持ちでやってるし、

それを通して反応が来るのは嬉しいですよね。

 

 

 

要は、今の時代は

誰でも発信ができるし、誰でもそれを見れる時代になったなという事。

 

 

こういう風に書くと、

とっても自由で開けていていいじゃないか!って

字面では思えてくるんですよね。

 

 

ただ、明確に反応が見えるってことは

反応がないことも分かるってことなんですよ。

 

「面白いことを思いついたから動画にしてみよう!」

「カッコいい曲が出来たから打ち込みで配信してみよう!」

「綺麗な写真が撮れたからみんなに見てもらおう!」

 

 

クリエイティブになるのは勇気がいるし、

志を持って活動出来るのはさらに素晴らしいことだと思います。

 

 

しかし、いざ世に見える形で公表したときに

その内容は「ネットの反応」で推し量るようになってしまいます。

専門的に見て実に有意義なモノであったとしても、

広いネットの海では埋没してしまうこともあるし、

多種多様なユーザーの目につく場に出せば

言われない曲解を受けて真実を見てもらえず

思い描いていない誹謗中傷的な広まり方をするかもしれません。

 

全部想像の話ではありますが

そういった側面も、持ち合わせているのが

今のSNS社会の実情ではないでしょうか。

 

二つの意見がぶつかっているとき、

フォロワーの数が正義となってしまうようなことが

なくなるといいな、と思った今日この頃でした。

 

 

あああああああ海に飛び込みてえぇぇぇええ!

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